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やわたうまさんの趣味占放談で、寿命は170歳まで伸びるのでは、という話題がでていたことからグルジェフが寿命について語っていることの一部を記事にしようというアイディアが生まれました。
「実践」に直接関わらないのことを書くのは第2期に入ってからのこのブログの趣旨とはずれてしまうわけですが、まあ、たまにはグルジェフが語った事で興味深いことを紹介するのも悪くはないと思うので少し書いてみようと思います。 グルジェフは時々人の寿命について語ることがあるのですが、彼はそのことを非常に重要なテーマであると考えていたようです。彼の寿命に関することを説明する為には、例によってその他のいろいろな概念を良く理解しておく必要があるので、なかなか難しいのですが、その話のうちの、その他の概念の理解が必要ないことについてだけ書こうと思います。 うーん。今、そうこう考えつつそれぞれの寿命についての説明について考えを巡らせていたらですね。よくよく考えてみたらこれらの考えも、実はそこに行きつく為に何をしたらいいのかということはすべてが、ここでいつも扱っている「実践」に集約されているんですよね。ということはこんなことを口にするよりも、実践について考えていれば、自然に寿命をのばすところに向かうわけですから、こんなこと書く意味なんてないじゃないか。なんて考えてしまったんですww。一日に使うエネルギーは限られている訳で、それは一生で使うエネルギーが限られているということでもありますから、エネルギーは浪費しないようにしなくてはなりませんからね。 すいません、一人でどうどう巡りしていて・・。でもここまできたら引っ込みがつかないので、書こうと思っていた事を書こうと思いますw。 グルジェフも正真正銘の秘技参入者ですから、秘技参入者にだけ読む事ができる(概念を理解する事が可能である)古代から伝わる「ある物」を読む事ができるようなのですが、そこにこういった趣旨の事が書かれていて、それをグルジェフはこんなふうに現代人の思考形態に理解可能なように文章にしています。 「成年に達した人間の精神はたがいに共通点をもたない3つの機能統合体から成り立っている。これらそれぞれの機能統合体はある人の一生のうちの異なる時期に形成を始め、そして異なる時期に形成を終える。 第一の機能統合体の形成は子供時代にのみ、すなわち、少年なら11歳までに、少女なら7歳までに形成される。 第二の機能統合体は、少年の場合は9歳から、少女の場合は早くも4歳から形成を始め、人によってことなるが、だいたい成年になるまで形成が続く。成年に達する年齢とは、男の場合20歳、女性の場合は13歳のはじめ頃である。 第三の機能統合体は成人に達してからその形成が始まり、そして現在の平均的な人間であれば、男性なら60歳、女性は45歳まで続く。 しかし、意識的に自己を、いわゆる「全センターが覚醒している状態」にまで高めた人間はこれらの機能統合体は男性なら300歳まで、女性なら200歳まで形成を続けることができる。」 と、まあこんなことです。 つまりは全センターを同時に使うことができ、一つの自己を確立している人間にはまったく別の形成の限界があるわけで、当然、その状態では思考、感情だけでなく、身体的にも活性した状態が男性なら300歳、女性なら200歳まで続く訳で、寿命はわれわれの常識を大きく越えてしまうわけです。 ここで言う機能統合体というのは、実はこれが何のセンターを表しているのか、グルジェフは説明していないんですw。これはいつものグルジェフのやり方なのですが、それがなんなのかわからないために、人は非常に慎重にかつ思考をよく活性化させつつこのことについて考えないと、まったく意味がわかってこないようになっているんです。そしてこの疑問を持ったまま、いろんなことを探して、いろいろなところを読み返していかないと、この機能統合体が何を意味しているのかがわからないようにできているのですが、僕もそれをやって、ようやくそれがなんなのかはっきりと確認した人間の一人です。 で、せっかくグルジェフが意図的にそのようにして、人の思考を覚醒しようとしたことを、僕は自分の便宜のために、そして自分がそれを知っている事をひけらかすようにして(w)、答えを言ってしまいます(師よ!僕の不孝をお許しくださいw)。 第一の機能統合体とは思考センター、脳みそのことで、 第二の機能統合体とは動作センター、身体のことで、 第三の機能統合体とは感情センターのことであります。 これはそこには書かれていないのですが、よーく探せば他のところに書いてあるので、確実にグルジェフ(我が師w)はそれを意味していると言えるのです。 さて、そうして考えてみるとですね。 これは非常に興味深い考察がいろいろとできます。 まず、それは脳みそが一度形成されたらあとは縮小して行くだけであるという事実と一致していますし、幼児期の男と女の機能統合体の形成過程が大きく違うのは、僕には七・五・三を連想させたんですよ。この場合、女性のほうがなぜかイヴェンとが多い(3歳と7歳の二回)のもなんとなくうなずける気がします。 そしてまた興味深いのは成年に達する時期の差です。男性の20歳というのは、これは男性の成人する時期が、社会的に成人する時期と重なっているという事も納得しますが、女性の13歳というのはだいたい生理が始まる時期と重なっていて、それが第二の機能統合体の完成、つまり身体の完成の時期なわけですから、成年に達した女性は子供を受胎することが可能になった状態になっているというわけです。 成人した女性はそこから先、すでに感情センターである第三の機能統合体の形成を始める訳ですが、この時期の女性と男性の成長の度合いの違いもこれで非常によく納得することができてしまいます。確かに思春期の女性は、思春期の男性に比べてすっと精神年齢が高いし本当に既に大人になっているんです。 ただ、現代の女性の不幸はここにもあるように思います。13歳から社会的な成人まで、つまり中学生から高校を越えて大学生に至るまでの間、そんな理由から女性は同世代の男性のことを馬鹿にする、また低く見る傾向がしっかり身に付いてしまうのではないでしょうか。しかし、男性が成人してから後はまったく状況がひっくりがえってしまいます。しかしそれをどうしても認めたくない女性がものすごく多いのは、実に僕には非常に理解しやすいことです。13歳から20歳の頃というのは人生を貫く表面的な意味での世界観のほとんどを決めてしまう時期なので(内的な意味ではすでに幼年期にすべてが決まっていますよね)、そのときに形成された世界観を理性で変化させるなんてことは本当に容易ではないのだと思います。 これらの関係は、女性の人生の「華」の時期が16歳頃から25歳そこそこで終わってしまうということもよく説明していますし(一般的な女性だけでなく、何かを成し遂げる女性を見ても、スポーツ、歌、芸術、ダンスなど、ほとんど若い時期に集中しているように思います)、女性が45歳を超えたあとの、平均的なイメージを考えてみても、その第三の機能統合体の形成時期の終了というのは、よく納得できるように思います。 そしてもちろん60歳が男性のすべての形成過程が終わる時期なのは社会的な引退と一致しているのは、社会のシステムが男性のものと一致している事をしっかり表していますし、事実男性はその時期までまだ新しい認識なりを生み出す力を残していると思います。 ただ、これは一般的に普通に生きていたら、こうであるということで、だからこそ全体を眺めた上ではほとんどの現象がこれに一致していると観察できるわけですが、われわれの目標は、実にもともと全センターを活性化させ、一人の自己を持つ事にあるわけですから。それを死ぬ気で(本当に死ぬ気である必要がありますが)この方向を目指すなら、こんなものは無視して高みに登る事も可能な時がくるというわけですから、女性も、もちろん男性も安心してください。ただし、死ぬ気にならないと駄目ですけどね(いったん死ぬ必要すらあるんですからw)。 また、軽く書くつもりが長くなってしまいましたが、そんなわけで、この視点からみればいろいろな現実的問題も非常によく納得できるような気がするわけですが、こういうことが社会的常識にまでなったらどんなにいいだろうと思わなくもないです。こういった「知識」が一般化していたらいろいろなことが社会的にも家庭内でも個人的にも人生設計を考える上でもオーガナイズしやすいように思うんですよね。 例えば今の内閣の教育再生にしたって、こういった知識があったらもっともっと本当に現実に見合ったシステムを思いつくと思うんですよ・・。 ああ、それにしても今の内閣の人たちは真剣に役に立つ事をやろうとする姿勢があるので嬉しいです。結果はどうでるかはもちろんわかりませんがね。そういった姿勢で先に進みつづけるなら、それはどんな共同体だってなんらかの進展は考えられるように思います。馬鹿のマスコミがじゃましないでくれたらいいのですが・・。 まったく関係ない話でしめてしまいましたが、そんなわけで寿命の話を終わりにします。 以前からこのブログを読んでいただいている方たちはご存知だと思いますが、僕はこのブログを書くのと同時にウスペンスキーの「奇跡を求めて」を毎週一章ずつ読んでいました。そしてそれらをワークの「オクターブ」と呼んで(参照)、複数のオクターブが絡み合うことによって、オクターブの偏向を「偶然」おさえられないだろうか?という狙いのもと、それぞれを続けていたのです。
そして今週がその「ウスペンスキー読み」の最終の週で。昨日、18章の「離脱」まで、すべて読み終えました。 そこで、これはこのブログの初期の頃から計画していたことだったのですが、この本の読み直しの終了をもって、このブログも一緒に終りにしようと思います。 本当は5月いっぱいまで続けるように計画していたのですが、ちょうど書きたかった「性センター」の話をとうとう書き終えたという区切りでもありますし、この週末からはまた仕事にでかけてしまうので、どちらにしろ5月いっぱいまで書ききれないという状況なので、これが一番いい区切りかなと思うにいたりました。このように、すばらしくいい区切りで終われるのも、オクターブの法則がうまく進行してくれたというこのなのでは・・、と嬉しく思っています。 これは自分自身のワークの進行具合からいっても、ほとんど完璧といえる区切りです。今回の「読み」+「研究」で僕自身が得た新しい「理解」はかなりの量だったと思っていますが、これらを自分のものにするには、これらの「理解」をかなり時間をかけて実践していくことしかなく、そのためにはこれ以上の研究は無意味といいますか、ここからしばらくは純粋な実践の時期としてやってくかなくては、結局それらの「理解」も理論の範囲を超えることができないと思われるからです。つまりはどう考えても研究の進み具合に対して自分の「存在」のレベルが低いと思われるので、「存在」が追いついてくれるまでこれらの実践を繰り替えしていくのが一番いいだろうということなのです。 これにはもちろん、このかなり大きかった「オクターブ」をすっきり、きっぱり終わらせることによって、新たなオクターブの「ド」音をドラマチックかつ強力に響かせていくという狙いも含んでいます。例の、ヘルマンヘッセの「さあ、心よ。別れを告げろ。快活に!」です(w)。(参照) いままでたびたびこのブログを訪れてくださった方々、いろいろな助言、質問などコメントを残してくださった方々に深く感謝しています。 いろいろ教えてくださったやわたうまさん。 控えめのコメントながら、いつも真剣に読んでいてくださり、真剣な質問をしてくださっていたchoroさん。 いつも優しい言葉をかけてくれていたLyricaさん、 たまにコメントをくださっていたバシールさん、 身体の力の常住不断さん、 エニアグラムのことで本を紹介してくださったAragonさん、 本当にどうもありがとうございました。 このブログは誰かの研究の役に立てばとの狙いからそのまま残しておこうと思います。 もう更新はしませんが、みなさんのサイトにはまた遊びにいかせていただきますので、よろしくお願いします。 はせいん 前回書いたように、性のエネルギーは別のセンターに流用されて、熱狂的かつ、しばしば非常に危険で破壊的にすらなるいろいろな行動、心理的状態を人に作り出すのわけですが、逆に、他のセンターにエネルギーをうばわれてしまった「性センター」は他のセンターが使うべきエネルギーを盗むことになります。
以前にも書いたように、「性センター」は本来「物質12」で働くべきセンターですが、この場合にはそれよりもずっと粗雑な物質である「48」や「24」を使って作動することになってしまいます。そうすると「性センター」の活動によって受ける感覚、印象もずっと粗雑なものしか受け取れなくなってしまいます。これは結局、非常に気持ちいいはずの性的行為がまったく「チープ」な空しいものになるということなのだと思うのですが、まあ通常、性センターが「物質12」で働くことはほとんどないわけですから(以前の記事を参照してください)、われわれの知っている性的感覚はこのずっと粗悪である性的感覚である筈なんですよね。そして、その「物質12」を使った、最高な(w)性的快感を得るということは、これ、実に人間の進化にとってもものすごく重要なことなのです。それは、「物質12」で働いた性センターは他のセンターが受け取ることのできない非常に微細な印象という食物を受け取ることができるからなんです。微細な印象からなる食物は、より洗練された物質を作り出すために非常に有用です。そして、それが何を意味するのかといえば、もちろん、第2の体の形成を早め、それを可能にするということなのです。もうだいぶ長いことこのことの関して話していなかったので付け加えると、その第2の体を持つにいたることが、機械的である人間の生から離れ、偶然に縛られる奴隷状態から開放され、自らの意思で何かを為す力を持つことのできる唯一の道なのです。 (申し訳ないですが、ここではもう(参照)をつくってリンクをもうけたりしません。この辺の話はどうしても自己観察を伴った「システム」のある程度の理解を必要としますので、興味のある方は、ゆっくりと以前の記事を読んで、ゆっくりと理解するようにしてみてください。それができれば、このとっても重要である「性」の問題w。快感の重要性までちゃんと理解できる材料はそろっているはずです。) さあ、このようにして性センターがしっかり「物質12」で作動するとすごいことが起こるのですが(w)、そえれでは、いかにして「性の誤用」を起こさないようにして、性センターを正常に働かせることができるのかということが問題になってきます。 それに対してグルジェフはこう答えています。 「これらの誤用を避けるために何をしたらいいのかということを言うのは不可能だ。正しいワークは恒久的な重心をつくりだすことから始まる。それが作り出されたとき、他のすべてはそれに従うように配置され、割り当てられる。だから問題はこうなる。つまり何から、またどのように恒久的重心を作り出すことができるのか? これに対してはこう答えよう。その人のワークに対する態度、評価、そしてそれ以外のすべてのものの機械性と目的のなさの自覚だけが彼の内部に恒久的な重心を生み出すことができるのだ。」 そして恒久的な重心ができ、性センターが「物質12」を使って働けるなら、性センターは高次感情センターのレベル(つまりは第2の体「アストラル体」のレベル)に立つことになります。そして他の全センターはこれに従って、正しいエネルギーを使って正しく働くことができるようになるのです。 これが実現するだけでも存在のレベルはかなり高いことを示しているようです。(しかも、最高の性的快楽のおまけつきですからね。ホントすごいですw。) 非常に駆け足で、まだ必要な観察がしっかりできてない部分も残っていますが、これで、だいぶ長いこと書こうとして回り道をずっと続けていた「性センター」の研究を終わろうと思います。 昨日書いたことの続き、通常の人間のセンターの中で最も大きい「性センター」のエネルギーが、一生ほとんど使われずにいったいどこに行ってしまうのか、という話です(昨日の記事参照してくだい)。
きのうの説明であきらかなように(だといいのですが・・)、通常人間はまったく「性」を正しく機能させていることはありません。それをここでは「性の誤用」と呼んでいるのですが、それは主に性センターの使うべきかなり洗練されたエネルギー(物質12)が正常に使われることなく、別のセンターにその力が流入することを言っています。 それを見分ける大きな特徴はある「特殊な嗜好や情熱」と、それと結びついたその働きの「無用性」、あるいはある活動に対する、「過剰な熱狂性」だと言われています。 例えば、思考センターが性センターのエネルギーを使い出すと、哲学、科学、政治などの関わり(まあインテリといわれるようなもののこと全般を指すと思われます)で常に何かと戦い、言い争い、批判し、新しい主観的な理論を生み出す。僕の観察ではこの熱狂の特徴はそこにある種、猟奇的だといえそうな残酷かつ冷徹な喜びがいつも見え隠れしています(これは微妙な感覚なので、しっかり深く観察しようとしないとまったく観察できない特徴ですが、実はどこにでもありふれている状況でもあります)。 それが感情センターについては、キリスト教的罪の恐怖、禁欲主義、地獄、罪人の責苦、または、永遠の生を説く、といった例が挙げられていますが、これもすべて性センターのエネルギーを使って、あるものが異常に誇張されたことで起こることのようです。もう一度書きますが、このこともまったく他人事のようにとらえるのは大きな間違いだと思われます。この部分の観察は「心理的な観察」になりますが、罪の意識、道徳的な意味での悪徳への恐れ、そういったものが誇張され、そういった意識を他人にも強要するようなことは日本でかなり頻繁に、あまりに普通だから気づかないほどに起こっている現象です。そして同じように感情センターで使われる性センターのエネルギーは革命への情熱や、強盗、放火、殺人などを人にやらせたりするといいます。これはその熱狂的な特徴を考えれば、実に納得しやすいことかもしれませんね。 動作センターで使われる場合は、スポーツ、いろいろな記録の更新、レスリング、喧嘩などに関わっていると言われます。 先ほど挙げたようにこれの大きな特徴は、異常は熱狂性とその無用性なのですが、「思考」「感情」「動作」のどのセンターも「性センター」のエネルギーを使って有益なものを生み出すことはできないと言われます。 この「有益」ということも説明が必要ですが、つまり進化のためにまったく無用なことしかできない。という意味です。そしてそのように無駄なエネルギーを使うということは、考えなれないほど害であるということが、3層工場の概念と、変性、「アストラル体」と手に入れるということの意味を十分に理解していれば、しっかり納得できることだと思います。 これがまず「性の誤用」のひとつの例です。 もう一度強調しておきたいのは、これは何かの特殊な例ではまったくないということです。われわれのほとんどの行動、行為にこの「誤用」が含まれているといっても言い過ぎではないほど、普通のことであるし、エネルギーがある限りは必ず、それに伴ったプロセスが起こるという原理を思い出していただければ、性のエネルギーを一生の中でほとんど正常に使える機会がないという事実を確認しただけでも、大量なそのエネルギーがこういった誤用に常に使われているということを納得することができるでしょう。 次に「性の誤用」のまた別の例を挙げていきます。 追伸。うー時間ががかりますね・・。 がんばってやり抜きます。 さあ、なんとかがんばって性センターのことを書いてしまおうと思います。
今までセンターのことに関してはばらばらに書いてきたのでちょっとわかりにくいかもしれません。 まず最初にしっかり理解しなくてはいけない枠組みとして、「思考センター」「感情センター」「動作センター」の3つのセンターがあります。これは「3層構造の工場」とも対応していますし、すべての自己観察はこの枠組みの中でされて始めて意味を持てるので、ここが一番大切なところになります。そこに「本能センター」と「性センター」が加わってくるのですが、これは「動作センター」と組になって、下部の「3の法則」の動力として働きます(ああ、そうか、3の法則についてはまだやっていませんでした・・)。これで5つのセンターがそろいました。 そこに以前に一度だけ話した、「高次感情センター」と「高次思考センター」があり、これはそれぞれ、第2の体、第3の体の機能とかかわっているセンター。つまりは宇宙的な法則のもとに働いている、非常に早い振動を持った、密度の薄いセンターです(振動と密度のこともやっていませんでしたね・・) この7つのセンターがグルジェフが説明しているものとしては全てです。 このうち、「高次感情センター」と「高次思考センター」についてはわれわれには完全に関係なく、しかも変性が起こる、すなわち第2の体、第3の体をもつようになると、自然に、完全な形で作動するそうなので、特別に理解する必要もないセンターです。 そして「思考センター」と「感情センター」「動作センター」については十分に今までに語ってきたと思います。 そこで今回はどうしても「性センター」についてやっていこうというわけです。 さっき書いたように「動作センター」と「本能センター」「性センター」はこの3つが合わさってひとつの力として発現することができるセンターですが、これには少しだけ「3の法則」の説明が必要なんです。ですが、ここではとりあえず、この3つは何らかの力の発現に対して「肯定的」「否定的」「中和的」な立場をとることになり、それぞれはいつも入れ替わっているということだけを書いておきます。 そのように動作の発現、性の発現、本能的な発現にこれらのセンターが関わりあっているのですが、これも例の「感情センター」と同じように、本来起こるべき正しい、あり方で機能することはほとんどありません。 以前に書いたように、性センターは「物質12」で働くセンターで、通常のセンターの中で、考えられないほど制度の高い、スピードの速いセンターで、「思考センター」に比べて9億倍、通常の「感情センター」と「動作センター」「本能センター」にくらべて3万倍のスピードで働くすごい力を持ったセンターです。 「性センターの」正常な働きというのは2つあり、それ以外にはありません。それは以前にも説明しましたが、子供をつくることと、第二の体の形成、「アストラル体」を作ることです。それ以外のことに働くならば、それはいつでも非常に危険であるといいます。それはなぜなら、性センターそのものがほかに比べてものすごいエネルギーを持っているからです。 しかし考えみると、われわれが成人して、「性センター」がしっかり機能するようになったあと(男性なら20歳、女性なら16歳頃、つまり生理がちゃんとくるようになったときのことだと思います)、子供を作るためのセックスが一生のうちにどれだけあるでしょうか。そしてアストラル体を形成するための行為、「パートクドルク義務」(意図的に苦悩すること)をやっている人がいるとすれば、おそらく地球の総人口が60億として、そのうち多めに見積もって10000人がやってたとしても、それは0、000006パーセントとか(w)そんなことになっていまします。つまり通常は「性センター」が成人してから死ぬまでの間に正常に機能していることなんてほどんどない、ということになるわけです。 じゃあその通常の人間のセンターの中で最も大きいエネルギーは、一生ほとんど使われずにどこに行ってしまうのか、それを考えるところに「性の誤用」の研究が始まります。 ううう。時間がかかりますね。この先は次回にします。 |


