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いかん、すっかり忘れてしまっていました。前々回(「意識の状態」)で、意識の第3段階にいたることについて書きましたが、その第3の意識の名前についてはまだ書いていなかったのですね。それをまずやらなくては。
さて、第3の意識状態は、ここでも何度か言葉を出したことはありましたが、「自己想起」と呼ばれています。 「自己想起」を導くために、またはまずは理解するために一番役に立つのが、結局「自己観察」、それによって自分の機械性を理解すること、自分が眠っているのだということに気づくことだとそういうふうに(「意識の状態」で)書きました。 もう一つ「自己想起」を呼び起こすために非常に有効な手段があります。それが「自己同一化」を避けることです。通常人間は「自己同一化」をつねにしているために「自己想起」できないと言われています。 自己同一化、これも簡単には理解しにくい概念です。なぜかというと、通常人間は絶え間なく何かに自己同一化している。つまりそれはあまりにも普通の状態で、自己同一化していない状態を体験したことがないために、なんのことなのか理解しにくいという類のものなのです。 自己同一化とは注意を注いでいる対象になりきってしまって自分のことを忘れてしまうことをいいます。 例えば食事をしているときには、食べているものに自己同一化します。自分が食べているという状態は見えていなくて注意はすべて食べる対象に向かってしまいます。 誰かとしゃべる時も、自分の使っている言葉に自己同一化してしまいます。少しややこしい話になったときに、自分が主張したい内容を簡単に忘れてしまうのもそのせいだと思われます。今話していることがすべてになってしまう。つまり今使っている言葉に自己同一化しているのです。 もっとも悲劇的なものの一つは「複数の私」のうちの一つに自己同一化してしまうことです。まったく本来の自分の欲求と矛盾した「複数の私」の欲求に自己同一化してしまうことによって、自分の欲求は絶対にかなえることができなくなります。そのときの気分で、偶然でてきた「欲求」がまるで自分の最も大切な欲求であるかのように考えてしまうのです。 結局自己同一化が起こると他のコンテクストをまったく覚えていられなくなってしまうわけです。そのために行為しているときに、その動機や、やっている自分自身、その周りにあるものを常に感じていられるようにする。そのことで、その忘れっぽい状態から逃れることができます。 結局これが「自己想起」になっていくわけです。 この「自己同一化」についてもやはり自己観察を通して自分の生活の中から例を探して、体験しないと「理解」することは難しいと思います。ただこれをもう少し明らかにするために「自己同一化」の特殊な形態である「内的考慮」についてもいつか書きたいと思っています。 trackback
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