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さて、第一の付加的ショック(参照)である「自己想起」に加えて、さらに第二の付加的ショックを起こすことによって工場(参照)の生産性を普通の状態から比べて考えられないほど上げることができるのだということを書きました。そしてその第二の付加的ショックについて言及し、それによって何かの結果を得ようとしているのが、錬金術なのだということも書きました。
僕は錬金術に関して特に調べてみたことがないので(それは「本物」に出会うことが困難であると判断したからです)、そこで一般的に何が語られているのかわからないのですが、この第二の付加的ショックに関しては、グルジェフは正確な解答をしておりません。 グルジェフはただ、このことに関しては普通の状態では第一の付加的ショックである「自己想起」のように明確に語ることは不可能であると言っているだけです。しかしこれは実は非常に理性的な解説の仕方なのではないかと思っております。なぜなら以前にも書いたように、どちららにしても普通の状態から「自己想起」をある程度長期にわたって呼び起こし、「ミ12」や「ラ6」を作り出すことよりも前に、あらゆる無駄な心的緊張(不必要な不快感、杞憂、不機嫌、焦り、短期、せっかち)、あらゆる無駄な身体的緊張、空想や白昼夢から自由になる必要があるわけで(参照)、そのためにはかなり徹底した自己観察とそれによる人間の機械性の理解が不可欠だからです。それに加えて自己想起がどれほどできるようになるのかという問題になりますと、これはやればやるほど、真剣に試せば試すほど、難易度が上がるかのように思えるほど長期間の自己想起は大変です(グルジェフは、人間が自己想起していない状態が今の宇宙のシステムには必要な条件になっているがために、誰かが自己想起しようと努力すると、10倍もの力で眠らせようとする力が働くとすら言っています。それは例えるなら映画「マトリックス」のエイジェントみたいな役割だと思いますw)。そして第二の付加的ショックを呼び出そうという努力にはその二つのことが非常によく準備されていることが必要条件になるのです。なぜなら普通の状態では「シ12」しかその先に変性させるべき物質は体内になく(参照)、第二の付加的ショックで変性させるべきなのは「シ12」と「ミ12」の両方だからです。もしもそれがない状態で第二の付加的ショックを意図的に起こしていくと、必然的に「シ12」にのみ働きかけることになるので、これはある種の人間的異常を呼び起こすのだそうです(後で解説するつもりですが「シ12」は「性」と深くかかわっている物質なのです)。 そこまでの準備がどうしても不可欠である上に、その準備だけでも普通の人間にはほとんど不可能だと思われるほどのワークなのだとしたら、いったいその第二の付加的ショックについてどれほど「知っている」必要があるでしょうか。それがゆえにグルジェフがやった解説はとても理性的だと思うわけです。 実際、この準備は恐るべきほどの大変さなのですが、このうちの最初のもの「自己観察」による人間機械の理解と、それによる無駄なエネルギーの浪費を抑えることがしっかりできるだけで、おそらく普通に見ていて超人のような状態になってしまえると思われます。事実僕はこういうことが少しできるようになってきたのですが(なぜ少しと自己評価するのかといえば、結果は見えるものの、自分がどれほど空想に浸っているときが多いのか、どれほどの心的不安を心に持っているのかということを自分の中によく観察しているからです)、それだけで相当多くのところで「何か特別な人」、「注目に値する人」と思われることが多くなってきました。それには簡単な理由があります。これがちょっとできるようになっただけで、例えば集団の中でわりと長期間にわたって一緒に何かをやったりすると、他人に比べて異常なまでに疲れないのです。それから何かに心を奪われて苦悩するということが非常に起こりにくいことも、まったく普通じゃないと感じられるようですし、身体能力とか、学習スピードもなぜか他人に比べて恐ろしいほど早いんです(これは以前にはまったくなかったことだし、以前住んでいた日本よりヨーロッパの人がそれほど劣っているということでもないと思われます)、それでいてそれらに自分を誇るような心が起こらないところをみて、「いったい何なんだこの人は・・」というふうに感じたりするようなのです。それがもっと進んでエネルギーの浪費がもっとなくなるだけでいったいどんなことが起こるのか(ここではまだ「工場」の機能は普通の機能しか使ってない状態なんですよ!)、それに加えて「自己想起」が長期間できるようになり第一の付加的ショックが加わったらどんなことが起こるのか。これらの自分に起こっている現象と、このセオリーを比較してみると、第2のショックが自己のワークとして必要になるような状態はまだまだずっと先のことになるのだろうと予想されるわけです。 ここまで書いただけでこの第二の付加的ショックの性格が大分はっきりしたのではないでしょうか(まるで逆説のようですが・・)。 この第二のショックは感情生活と結び付いていると言われています。「奇跡を求めて」の第13章ではウスペンスキーがとうとう「目覚める」ことに成功し、(目覚めているときのみですが)グルジェフと心の中だけでかなり込み入った会話をすることが可能になったことを語っていますが。このときにグルジェフがその始まりを助けるためにウスペンスキーにしたことも、激しい感情的なプロヴォークで、むしろ彼を侮辱し、意図的に感情的に耐えられないような状況に追い詰めたのですね。これはおそらくそういった種類の激しい感情の摩擦のことなのだと思われます。どちらにしても、そういった恐ろしいほどの心的危機感が、目覚めるためにどうしても必要なのは間違いのないことのようです。そして不快感を表現しない訓練、「自己同一化」や「内的考慮」をしない訓練がこの第二のショックを得るための訓練であると、それに関してははっきりと解説されているのですが、おそらくこういった激しい心的な状況、恐ろしいほどの他人の不快な表現、侮辱などを「利用」してそれを表現しないこと、そこに自己同一化しないことによって起こすようなショックのことなのかもしれません。 (ああ、これはまるでキリストが死ぬ前に行った業のことのようではないですか!) trackback
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