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グルジェフのアイディアの中の非常に基本的なものに、「われわれ人間は自動的な機械である」というのがあります。それをとりあえず「複数の私」という観点から考えてみようと思います。「複数の私」というはつまりこういうことです。自己というのは一人の人格が総合的な意思をもって生を営んでいるのではない。そうではなくて、あらゆる種類の矛盾した欲求をもった、別々の記憶をもった別々の人格が、あらゆる瞬間ごとに入れ替わって生を営んでいる、というものです。 この話がいわゆる二重人格とか多重人格とか言われている話と全く違うのは、これが完全に言葉どおりであり、すべての人間がそうであるということです。
グルジェフのアイディアとはほぼすべてが彼独自のアイディアではなく、古代から伝わっている知識なわけですが、そのことから僕はむしろ多重人格という考え方をこう想像してしまいます。それは「複数の私」を理解しきれない人が考え出した空想から始まっているのではないかと・・。 いや、でたらめな想像かもしれないけども、なんとなくそういうことってよくあると思うんです。 僕の想像話はいいとして、本題にいきましょうか。 僕自身はこの「複数の私」が本当のことであるということを自分の日常の中から完全に言い切ることができます。 はい。僕は完全にあらゆる外からの刺激に反応して生きているだけの、機械なんです。恐ろしいことに・・。 例えば、こういうテーマについてよくよく考えているとするじゃないですか、家で考えている分にはいいんです。でも外出するといろんな人にすれちがいますよね。すごく好みの女の子にすれ違うとします。そうすると、ああいう子に出会ったり出来ないものか、とかを考え出す。そういった心の中には自分がそういう子を魅了できるかどうかをすぐに計算しだすような心があるんですよ。つまり男と女のゲーム、または勝負ですよね。そこには相手側の判断からみた自分、一般的女性が自分をどう見るか、それに照らし合わせての自分の欠点、そしてそれにがっかりしたりして、気づかないうちに気分が少し落ちているw とかね。 そんなことを目的地に向いながら無意識に5分ぐらい考えているんですよ。で、電車に乗ったりします。そこに非常に不快なことしてくるおっさんに会うわけです。いかにも負け組みw きたならしいし、どうみても欠点しか見えてこないような人間。そうするとまた別の自意識がでてきます。まずは自分の正当性。そのおっさんの行為の不正当性の証明から始まって、相手の欠点をいろいろと挙げ、相手の人生を否定するだけ否定して、自分がいかにそのおっさんよりも秀でているか、そんな秀でた人間がなぜこんなおっさんに不快なことをされなければならないのか、などと考えだすんです・・。 ここに書いたことは非常に普通であたりまえの日常ですよね。そのときどきで自分がもっとも重要だと思っていることが全然違ってしまうんです。僕は個人的に、おおげさでなくて5分に一度はこんな感じに自分が入れ替わっていると思います。それを例えば欲求という観点から見ていったときには、5分に一度入れ替わっている欲求にはまったく統一がなく、5分ごとに違う望みをもっているという意味なんですよね。そんな望みは絶対にかなえることはできません。5分で入れ替わっているから手のうち用がないのです。 僕はこのことをコントロールすることがどうしてもできません。もう何年もそれを変えたいと思っているのですができないのです。正確に言えばある時期には自分は少しましになってきたと思っていても、よくよく考えてみるとちっともよくなってないし、やっていることは同じだったということになっているんです。 これを変えていくのは何か、といったときに出てくるのが、「火」という考え方ですよね。複数の自分を結晶化させて一つにするための「火」です。 それはパートクドルク義務といわれているものと重なると思います。 テーマがあまりにたくさんありすぎて書ききれませんねw パートクドルク義務に関しても今後書きたいし、本当は他人の「複数の私」を観察することについても書きたかったんです。でも今日はこの辺にしておきます。 またよろしく。 はせいんさん、うちのサイトに書き込みありがとうございました♪
哲学されてますね。私も結構、そういうことについて 考えを巡らすのが好きで、はせいんさん の日記はすごく勉強になります。 私はまだフロイトとかユングとかしか読んでないんですけど…。 (それもちょっとかじった程度です) よければこんなサイトとかもあるんで、見てください〜 http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/index.html では、また私も来させてくださいねー お、e*M さん早起きなんですねぇww
勉強になりますなんて言われるとてれてしまいますが、うれしいです。ありがとうございます。 楽しそうなリンクもありがとう。 さっそくお気に入りに追加しました。 それではまた! ≪人間の心をそもそも複数の人格の統合体ととらえる考え方をポリサイキズム(ポリサイキとは、多数の魂、の意)と呼ぶそうです≫多重人格障害(MPD)というHPで見つけたのですが、
私は病気(ここでは多重人格)は別物ではなく、一般人の中にもそのような要素が含まれると考えています。 グルジェフも魂のことは話していたと思いますが、これと機械性は別のことですか? そうですね。僕も「複数の私」という考えを信じているほうなので、どちらかというと普通の人間こそみな多重人格なのだという立場にいますね。
魂についてグルジェフも話していますが、彼は違うことをさしていっています。グルジェフの言葉の中での魂とは第2の体以上の体のことで、つまり普通の人間は魂を持っていないということになるんです。 グルジェフは魂を少数の人しかもてない”贅沢品”といっています。 「われわれ人間は自動的な機械である」分かるような気がしますが、私にはグルジェフはむずかしいですね。
まあ、これからも読ませて頂きます。 どうも、kounitさん初めまして。
ずいぶん古いところまでさかのぼって読んでいただいてありがとうございます。少し懐かしい感じすらしましたw。 また是非お越し下さいね! trackback
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